どうか学ぶことを嫌いになりませんように。
子どもが面白い方法で問題を解く姿を見て、ふと、かつての「学校からはみ出てきた日々」を思い出しました。
思いついたことがあれば何でも口にする。
じっとなんかしていられない。
そんな我が家の小1男子。
先生が「あとでね。今は静かにお話を聞きましょう」と言っても、彼の耳にはなかなか届きません。
「今日の授業はこの問題を解いていくよ」という先生の言葉の直後――
「わかった!答えは○○!」と、即答。
その場の空気がシン……と静まり返る。
けれど、彼にはその空気が届いていない。
ただ、分かったことを共有したいだけ。
授業の妨げをしたいわけでも、友達にマウントを取りたいわけでもない。

ある日、彼が解いたのは
多角形の内角の和の問題。
公式:180×(n−2)
でも、彼は小2から小5までの間、いわゆる「教科学習」をしていない。
だからこの公式も知らない。
それでも、最小限の情報と足し算だけで答えを導き出した。
正解だったけれど、式がない。
どうやって解いたのか、説明ができないから、まわりには伝わらない。
本人の頭の中では、彼なりのロジックが組み立てられている。
でも、公式は使わない。というか、覚えようとしていない。
「習うことが当たり前」
「与えられた便利な道具を使うことが当たり前」
――そんな感覚が染みついている私には、目からウロコの瞬間でした。
そもそも、なぜ「公式」があるのか?
Google先生に聞いてみたら、こう書いてありました。
「公式に当てはめることで、数学化の過程を省略できるからである。つまり、公式を記憶して使えば、考えるという労力を節約できるのである。」
なるほど。
確かに公式は便利です。
でも、“なぜその公式になるのか”を知ることの大切さを、この歳になってようやく実感しました。
逆に、公式だけを覚えて、ただ数字を当てはめるのは……もしかしたら“作業”になっているのかもしれません。
いったい、何のためにそれをしているの?
「考える」って、そもそもなんだろう?
みんなで広げよう、個性の輪
ゆきてぃ




