『夢みる小学校 完結編』自主上映会開催します!

 多様な学び化学校は皆さんご存じでしょうか?
いわゆる不登校特例校ですが、不登校など多様な背景をもつ子どもが自分に合ったペースや方法で学べる公立の特例校です。
 
多様な学びって?
主体的な学びって?
これからの教育って?

これらを考えながら、実際に模索しながら取り組まれている大阪市立心和中学校。
この学校を会場に、夢みるシリーズの自主上映会を開催したいという想いが私にはありました。

そしてついにこの度、『夢みる小学校 完結編』の上映会が決定しました!


わが家は3きょうだい皆、既存の学校のシステムになかなか合わず不登校になりました。
特性があることで合理的配慮など求めるも、学校にはそんな個人に合わせる余裕などないことなど明らかです。学校に合わず、いざはみ出てきたのはいいけれど、学びを保証される環境を見つけることの大変さに直面しました。
わが家だけではありません。
そんな同じく不登校の子が年々急増し、なんと35万人近くいる事実。
子どもが減っているのにも関わらずです。
2023年度→2024年度に至っては何と16%の増加率。
理由は100人100通りあるけれど、何かがおかしい。

文科省は個別最適化、教育改革を。と言うけれど、現場は今までの教育のスタイルからは大きく変わらず先生が疲弊している状況。

きっと私たちは目にしているし、薄々気付いているんです。
この違和感。
本当にこのままでいいのかなって。

これから未来を生きていく子供たちが、学ぶって楽しいね、色々な人がいて面白いね、豊かだね、
と思えるような世の中になっていけたらな、って思うんです。

子どもは大人を見て育ちます。
果たして今この時代、大人の姿って、子どもにとってどう映ってるんでしょうか?

ゆるやかに和やかに、笑って過ごしている大人がいる。
どこにもないものを作り出そうと一生懸命働いている大人がいる。
生きるって楽しそうだな。

そう思ってくれるだけでいいと思うんです。


学校で本当に大切なことってなんですか?
先生も子どもも元気じゃなくなるくらいがんばらなくちゃダメですか?


それぞれの立場で交わって、誰かのせいにするのではなく、自分たちで考えること。
そして、当事者になること。
この上映会を通して、そんな機会になれば、と思っています。

「多様な学びを学ぶ。みんなが当事者になる。」第1弾!?
『夢みる小学校 完結編』ぜひお越しください!

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https://forms.gle/yfvXYD5KEh7uX1Jt5


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ゆきてぃ



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学ぶことは楽しいこと。

どうか学ぶことを嫌いになりませんように。

子どもが面白い方法で問題を解く姿を見て、ふと、かつての「学校からはみ出てきた日々」を思い出しました。

思いついたことがあれば何でも口にする。
じっとなんかしていられない。
そんな我が家の小1男子。

先生が「あとでね。今は静かにお話を聞きましょう」と言っても、彼の耳にはなかなか届きません。

「今日の授業はこの問題を解いていくよ」という先生の言葉の直後――
「わかった!答えは○○!」と、即答。

その場の空気がシン……と静まり返る。
けれど、彼にはその空気が届いていない。

ただ、分かったことを共有したいだけ。
授業の妨げをしたいわけでも、友達にマウントを取りたいわけでもない。


ある日、彼が解いたのは
多角形の内角の和の問題。

  公式:180×(n−2)

でも、彼は小2から小5までの間、いわゆる「教科学習」をしていない。
だからこの公式も知らない。
それでも、最小限の情報と足し算だけで答えを導き出した。

正解だったけれど、式がない。
どうやって解いたのか、説明ができないから、まわりには伝わらない。


本人の頭の中では、彼なりのロジックが組み立てられている。
でも、公式は使わない。というか、覚えようとしていない。

「習うことが当たり前」
「与えられた便利な道具を使うことが当たり前」

――そんな感覚が染みついている私には、目からウロコの瞬間でした。


そもそも、なぜ「公式」があるのか?

Google先生に聞いてみたら、こう書いてありました。

「公式に当てはめることで、数学化の過程を省略できるからである。つまり、公式を記憶して使えば、考えるという労力を節約できるのである。」

なるほど。
確かに公式は便利です。
でも、“なぜその公式になるのか”を知ることの大切さを、この歳になってようやく実感しました。

逆に、公式だけを覚えて、ただ数字を当てはめるのは……もしかしたら“作業”になっているのかもしれません。


いったい、何のためにそれをしているの?
「考える」って、そもそもなんだろう?


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ゆきてぃ